久々の更新です。長くなります。

当地は 過ぎ越しの祭(クリックで別ウィンドウが開きます)真っ最中です。

毎年のことですが、生地を発酵させて作ったパンを食べてはいけないだけなのに、なぜ国中大混乱になるの?パンをマッツァー(発酵させないパン、クリックでウィンドウが開きます)に置き換えるだけぢゃん。と信心のかけらもない私は思うのですが、普通に考えたら過越祭を迎えるには小麦製品を自宅に置かないための掃除(当然うちはしない)、初日夜のディナーのための用意(実家で用意するので必要なし)、期間中はみんなヒマなので突然誰かが訪問してくる時のための用意などで忙しいのでしょう。更に仕事も休みの人、休みじゃない人も入り交じり、パンやピザ屋などは営業できないので外食できる場所も限られてくるためどこも混雑するんでしょうね。

そういえば最近は、発酵させたパンがいけないなら、とイスラエル人も知恵を絞り、祭りの間はじゃがいもから作ったパンを提供する店も増えています。一度食べたことがありましたが、悪くありませんでした。私が食べたのは、テルアビブのCityという黄色い看板のチェーン店。チキンサラダが美味しいカフェです。

じゃあそんなにヒマだというならどっか出かければいいじゃないと思われるでしょうが、まだまだユダヤカレンダーが脳内にインプットされていない私(太陽太陰暦に基づいているため日時が毎年変わるのも大きい)と、カレンダーや時間という概念に非常に乏しい旦那。そもそも過越祭がくることに気づいたのが、旦那の会社からの休日の案内を貰ったとき。旦那の会社は毎年、過越祭期間中は全休となりますがお知らせのタイミング、休暇の始まる2週間前。


もっと早く教えてよ!!!


日本なら、年度初頭に年休カレンダーって発表されますよね。何でも直前、急がお好きなお国柄なのは諦めるしかなく、そろそろ祝日カレンダーだけでも把握しないとなあ、と思うのですが。。自分も昨年末転職し、ある程度休みなど自由に取れるポジションとなったため今年は夫婦揃って全休取得可能。・・・はっ。


そうだ、オランダ、行こう。


思えば結婚以来旅行の行き先は日本ばかり、そもそも出不精で長距離ドライブも好きじゃない旦那は「休みの混んでる時になにしに出かけるんだよ」と休日の遠出も好みません。しかしオランダだけは別。提案してみたら目をキラキラさせて「そうだ!ファック・マッツァーブレッド!ちょっとチケット高くてもいいから行こう!」とノリノリ。

しかしそのとき私は思い出したのです、この正月日本を訪れたときのことを・・・「いやラッキーだったよ。俺のパスポート今年の7月が期限だから、出国できるのあと1ヶ月くらいだったわ」ご存知の通り、パスポートは残りの期間が6ヶ月を切ると海外に出ることができません。今は4月、ということは・・・

ハイ、期限切れ。

一縷の望みを託し、内務省のホームページを確認するも「発行には10営業日が必要」。しかし友だちに聞いてみたところ、多くが「3、4日で届いたよ」とのこと。受け取りは書留で届けられるそうでギリギリ、休暇の後半旅行できる余地あり!とダメ元でその日のうちに更新申し込みをしました。

次の日、旦那の友だちにその話をしたところ「え、もう申し込みしちゃったの?私の友だち内務省で働いてるから、彼女に頼めばその場で再発行できるのに」なにー。しかし時すでに遅し、あとは運を天に任せ祈るのみです。

そして、申し込みから4営業日目、休暇の始まる前日。ネットで書留の番号を検索していた旦那が「ちょ、今日配達されたけど受取人が不在のため持ちかえったって!」早速郵便局に連絡をすると「ポストに名前書いてなかったので持ちかえったよ。本人の所在確認がとれないものは配達できないんだ」取りにいくというと、書留は郵便局で受け取ることができないそうで、結局再配達は休暇後との返事。ああ、なんて運が悪いんでしょう、私たち。

ワクワクでフライトなど検索していましたが全て無駄・・・と落ち込みましたが、これからホリデーラッシュ。来月は?と調べてみると、1日休めば5連休が取れる!ということで、めでたく来月オランダ旅行することと相成りました。あまり急に決めるよりはかえって良かったかもしれないね。とやっとパスポート騒動も収束。


教訓。万が一に備えてパスポートは更新しとくべし。


ところで旦那はカレンダーや時間の概念が非常に乏しいと書きましたがどの程度かと申しますと、結婚式や集まりごとなどを当日の直前に(私が)思い出して駆け込みセーフなんてことは珍しくもないし、普段自分がこれをこなすのにどのくらい時間がかかるかといったデータは全く蓄積されておりません。いったい彼の脳内カレンダーはどのくらいズレているのか?先日お使いを頼んだ時のこと。

彼のオフィスがテルアビブのカルメルマーケット(青空マーケット。豚や海鮮などの非ユダヤ的食材やアジア食材なども豊富)のそばに引っ越したため、マーケット内のアジア食材店でトンカツソースを買ってきてくれと頼みました。最後に自分自身が訪れたときに賞味期限切れのものしか置いていなかったためその旨念を押し、必ず賞味期限を確かめるように伝えて。

で、夜になって「買ってきたよ〜」とご機嫌の彼から渡されたのは、やっぱり期限切れ。最後に私がみたものと同じ、2014年1月25日が賞味期限のもの。頭に来て「だからさあ、日付確かめてっていったじゃん」と言うと「きみこそなんだっていうんだ、確かめたよ!ホラ、来年1月までの期限じゃないか!」とキレながら堂々の主張。


Ho No! 彼の脳内カレンダーは周回遅れだったよ!!



さて前述の通り正月も日本に行きました。普通なら日本での正月休み!ヤッホー!とブログを更新していたかも知れません。しかしこのブログに最後の投稿をした去年の8月の末、それもまさに自分の誕生日の夜。友だちがテルアビブ南部の歴史ある街ジャッファの海鮮レストランを予約してくれて、誕生日だということで沢山サービスをしてもらい、その後はビーチ沿いにあるクラブでみんなで踊って、深夜帰宅。楽しかったね、と話しながらメールをチェックしたところ、かねてより体調が悪かった父が末期ガンであるという検査結果が出たとのメールが母から届いていました。

酔いもさめ、同時に目の前が真っ暗になりました。それから、12月半ばに急逝するまで3ヶ月半。あれよあれよといううちに、父はあっけなく逝ってしまいました。海外在住者の宿命とはいえ、最も起きて欲しくないことが現実になった。訃報を受け取り泣き崩れる旦那を慰めながら、にわかには涙も出ずただ呆然と立ち尽くしていました。あと10日ほどで帰省、共に正月を過ごす予定だったのに。

彼は昭和の遺物としかいいようのないような男で、自分が理解し信じることにしか従わない、自信にあふれたとても頭のいいアウトローでした。40年以上のジャーナリスト人生、正志という名が表す通りペンの力で正義を伝える志を貫きました。仕事柄演説をする機会も多かったですがその天分にも恵まれたひとでした。

四角四面の報道人としてだけではなく、デビュー前の若い頃より歌手・友川カズキさんを後押しし続け、彼のアルバムのライナーノーツ、フライヤーの惹句を寄稿するなど多彩なジャンルでの執筆活動にも才能を発揮しました。

また将棋をこよなく愛し、アマチュアレベルではなかなか対局相手が見つからない腕前の棋士でもありました。常日頃、父は小さな一地方都市ではその能力を活かしきれないのではないかと思っていましたが、死ぬまで地元にこだわり続けたひとでもありました。

そんな彼は、弱気になった自分の姿を娘たちに見せたくなかったように思います。帰国まであと10日足らず、待っててくれても良かったじゃないかとも思いましたが、私の帰国前に決めて逝ったのだろうな。そういう男でした。

自分が結婚するまで、父はずっと私のことを陰日向に守ってくれる強い存在でした。三姉妹の長女ながら一番の心配のタネの私に、自分の代わりとなる存在が見つかったことで安心して逝ったと思います。一昨年末初めてボニョさんを両親に引きあわせた時の、嬉しそうな父の笑顔を思い出します。怪しいながらも英語を駆使し、一生懸命ボニョさんとコミュニケーションし愛情を示してくれたことに感謝が尽きません。

そして自分は父の影響で幼い頃よりいつかモノカキになるのだと自然な形で考えていました。彼のように何かを成し遂げるには至っていませんが、自分のライフワークは書き続けることだと自覚しています。自分の人生の大きな指標は父が指し示してくれたのです。

父の死については全く整理がつかず、思い出しては泣き、時折ぼそっと話しかけたりしています。誰しも自分の親だけは死なないのだと思っていると思います。しかしこうして人は突然いなくなることがあるんだとまた心に刻み、益々家族と仲間を大切にして生きていきたいと思います。会社の厚意で、1ヶ月帰省をして家族と心通わせ慰め合ったのもとてもいい経験でした。肉親の死といえども日本で1ヶ月の休暇取得は不可能だと思います。快く送り出してくれ、花束まで送ってくれた会社の対応にも大感謝でした。


そういえば今月頭のこと。私はおろか、母の夢にすら父は出てこなかったというのに、イスラエル在住の友人(且つ同僚、父とは面識なし)の夢に父が出てきたのだというのでビックリ!

父は彼女の日本の実家に私と連れだって現れ、彼女の家族全員の生い立ちについて詳しくインタビューしたそうです。父は自分のことは話さず、うまく彼女の家族が話せるように促しつつ友人家族の話を聞き、私は父の隣でにこにこ座っていて、あまり話すのが得意でない彼女の家族も饒舌に語り、彼女曰く「とっても楽しかった」そうです。

父が住まいを彼岸に移して3ヶ月ちょっと、未だ自分の夢には出てこないし枕元に来た様子もない。実家の仏壇の辺りにいる気もしなかったし、ハテ一体どこでなにをしているものやらと思っていたらさすがジャーナリスト、会ったこともない人の夢で取材とは!父は仕事人間でした。仕事というより心からジャーナリズムが好きだったのだと思います。

あまりに面白い話で嬉しくなり母に伝えたところ、実は今朝初めて母の夢にも父があらわれたんだそうです。実家の、ピアノがおいてある部屋で妹2人と共に、微笑んでいたそうです。

そしてそんな話を聞いた翌日の朝、ほんの少しですが父が夢にあらわれました。私が生まれ育った家で、玄関からピシッとスーツで出かけるところで、いってらっしゃいといいながら後姿をみたらスーツのうしろがボロボロだったので、でも疲れたらすぐ帰って来てね、と肩を抱いたらウン、と返事して出かけていきました。お父さん、やっぱ仕事行くんだね。


次は、誰の夢に突撃取材しにいくんだろう?不思議な、でも幸せな気分になったお話です。


イスラエルは花咲き誇る春となりました。







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こんにちは。日本では猛暑を超え「炎暑」の言葉が新聞紙面を飾る日々のようですね。更に各地を襲うゲリラ豪雨。友人は皆、今年の夏は何かおかしいと言っています。日本の皆さん、水害熱射病には十分ご注意くださいね。
自分は血中ヘモグロビン値が9を超えることがない(通常7前後)重度の鉄欠乏性貧血でして、この暑さで目眩立ちくらみが絶えず。先週末から調子が悪かったのですが、昨日はつらすぎて会社を早退してしまいました。


さてユダヤ人はディアスポラ後世界中に散らばり、その地に同化しつつも民族的特徴を残し、宗教的伝統を守り暮らし、戦後のイスラエル建国を機に再び集まって暮らすようになりました。ユダヤ人は主にアメリカやヨーロッパ、ロシアに住んでいた「アシュケナジ系」、アジア・アフリカに散っていた「ミズラヒ(スファラディ)系」に大別されますが、その他にも近年は介護士やホームキーパー、シェフとしてインド・ネパール・フィリピン・タイなどからアジア人の移住、またアフリカからの亡命者も増えました。かつ、それらとユダヤ人との婚姻も増え、特にテルアビブは人種の坩堝と化しています。

また、テルアビブ市は公式に予算を投じ「同性愛者の観光客誘致」に力を入れており、ゲイピープルの観光客・移住も増えてます。かつての同僚、南米出身のゲイちゃんはこちらでバツイチ女性とユダヤ教への改宗が済むまで偽装結婚をし、先日無事改宗が済み晴れてシングルとなり本来のパートナーのゲイガイと幸せに暮らしはじめました。
どこの職場にも一人二人は同性愛者がいて、アメリカから養子をもらい同性のパートナーと暮らしているのが実に普通。私の前の職場、今の旦那の職場にもいます。最近良く聞くのは双子を養子にもらうケースで、どうも当地ゲイ界ではトレンドのようです。

ユダヤ教で同性愛は禁止されているのに不思議ですが、自分は本人同士が良ければそれが一番良いと思っていますので、街中でごっついツルっぱげのゲイカップルがちゅ♡なんてしてるのを見て、幸せそうでええこっちゃ。と思っています。ただ、ゲイちゃんたちのファッションセンスは好きになれないなー。ファッション界はゲイが牛耳ってるというのに、当のゲイちゃんたちがダサいのはなぜなの (・ω・`)?

こちらのリンクではテルアビブが現在世界で最もホットなゲイシティである旨書かれています(英語記事)。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2088319/Tel-Aviv-trumps-New-York-named-worlds-best-gay-city.html



大幅に話がそれましたが、今回はそんな移住者の中でも急激にその数を増やすフィリピン人のお話。


フィリピン人は元々大家族で暮らし、幼い頃から兄弟や家族の面倒をみることに慣れており、国民性として愛情思いやり深いパーソナリティの人が多い。また貨幣価値の違いから安価で良質な労働力として、主に住み込みの介護士としてこの国で数を増やしつつあります。こんな言い方もなんですが、ぴりっとシャープといったタイプは少なく、どこかボンヤリにこにことしたタイプが多いですが、そんなことを言ったら申し訳ないという気になるほど気だての良い、素直で優しいタイプの多い民族だと思います。

以前の投稿でも書いたのですが、自分の祖父はフィリピンのルソン島で終戦をむかえ、捕虜として3年を過ごしたのち帰国しました。祖母はさぞヨレヨレになって帰国してくるものと思っていたところ、いやにぴんぴんツヤツヤして帰ってきて拍子抜けしたと語っていました。祖父曰く、フィリピンの人たちは優しく、必要以上に捕虜として扱わず、十分食べ物を与えて手当もしてくれた。現地の人と結婚し、帰国しなかった仲間もいたと・・・フィリピン人のホスピタリティが良くあらわれたエピソードだと思います。


ところでこの国に長く住む友だちと話していたところ、彼女「フィリピン人女性ってさ、まずフィリピンで結婚して子供産んで、海外に働きに出るの。現地に残った旦那がフィリピンでそのまま子供の面倒を見てね。んで、海外に介護士なんかの仕事できて、その現地の人とまた結婚したり恋仲になったりするわけ。新しい旦那が、フィリピンの奥さんの実家に遊びにいくと、親戚のおっさんかと思ってるのが元旦那だったりしてね。んで、国の家族に送金を続けて、適当に稼いだらいずれまた離婚してフィリピンに帰って、元の家族と暮らすのよ。」


へ?


「ほんとよー、そういうのフィリピン独特のシステムなのよ」


まさかー、いくらなんでもそんな荒唐無稽な話が許されるわけないでしょー、と試しにネットで調べてみたら「フィリピンは住民票が日本のように地方ごとの連携が取れていないため、重婚が簡単」「フィリピン国内で離婚後、海外で結婚する場合は婚姻具備証明書という独身証明書が必要だが、偽造がとても簡単」「家族ぐるみで嘘をつくため、本当に相手のフィリピン人が初婚かどうか見分けるのはかなり難しい」などの証言がでるわでるわ・・・真実の愛と信じ愛(と現金)を注ぎ裏切られた日本人男性の切々とした人生相談まで出てきます。はー、どうやら事実そういうことは(全部がそういうケースではないにせよ)珍しくもないらしいです。





あれ・・・・・





若い頃の友だちの話を思い出しました。

私と出会う前、彼はフィリピンパブのスカウトマンなどしていて、羽振りも良く派手な生活をし、悪い仲間とつるみ親泣かせなことばかりしていたそうで。しかしある日、スカウト先で「後にも先にも、あんなに綺麗な女には初めて会った」と入れ込むフィリピン女性に出会います。
それからは彼女に信じてもらうため悪い仲間とは縁を切り、調理師免許を取り板前として働きはじめ、彼女の病気の息子も引き取り結婚し国の家族にも送金し、真面目一筋に生きていこうと誓い努力を続けること数年。


「でもさ・・・結局俺が真面目になったって信じ切れないって、何年かして彼女は国に帰っちまったんだ・・・俺が若い頃、バカなことばっかりしてたツケがきたんだよな・・・今でも彼女以上の相手には出会えなくて、もう一生独身でいいやって思ってるんだ。ほんと、俺ってバカだよなあ・・・」








あれ・・・・どこかで聞いたような話ですけども・・・・・・・・・






テルアビブは一番暑い季節。でも、7月末〜8月は日本の方が暑そうですね ^^;
もちろん一概に温度だけでは比べられませんが、40度超はさすがにここでもありません。

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先日、なんとイスラエル産のゴボウを手に入れました!
嬉しくて、このクソ暑いのにかき揚げを揚げました。美味でした!

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連日暑そうなニュースばかり目にしますが、日本の皆さんお元気ですか?

当地はというと、8月に入りなんとゆーか違う次元の暑さに突入した感じとでも言いましょうか。寒いくらいで調子が出るトーホグ人は瀕死でございます。そしてこの暑さ、ピークが8月なのは間違いないのですが、こんな感じで10月くらいまで続きます。日本の夏も暑いですが、短いから楽しんじゃおう!って気になりますよね。四季がない、半年間もだらだらと夏期が続くこの国の気候にはこの先も慣れそうにないなあ・・・。


えー、今回のブログタイトルの「半ケツ」とは何か。なんて気を持たせてみましたが実は、何のひねりもなく読んで字の如く半分でたお尻のことでございます。これは在イスラエル邦人を悩ます解けない「?」のひとつでありまして、イスラエルに住まう皆さんはとにかくパンツから半分お尻が出ている率が高いんです。


ひとりふたりの話じゃありません。普通に歩いている状態でお尻の上4分の1くらいは出ている。半ケツを見るたびTwitterでつぶやいたとしたら、タイムラインが「半ケツなう」でいっぱいになるくらいの確率で。これがしゃがんだりかがんだりするとますますエラいことになり、なんならワレメまで見えちゃってる人も全く珍しくないのです。オフィスで新たにネットワークの敷設などすることになったらもう、そこらじゅう半ケツで作業する技術者だらけという光景となります。在イ邦人が集まると高確率でこの話題になるくらいイスラエル人、半ケツ率が高いのです。

これはナゼなのか考えてみました。

アジア人は遺伝子的に体に厚みがなく、お尻が扁平なタイプが多いですよね。自分など体格も良く、決して元々細いというタイプではないですが、それでもこの国にいると「自分の体、薄っぺらいわ〜」と思わされます。
対して西洋人はなんというか、胴体を輪切りにすると円。とでも言いましょうか。太っているのとは違う(まあイスラエル人、肥満率も高いんですが)体幹に厚みのあるタイプが多いです。

そして、圧倒的に筋肉のつき方が違います。

良く黒人のお尻は上を向いているなんて言いますよね。あれほどではないにせよ、西洋人は歳を取ってもお尻が垂れない。日本人は太ると筋肉量が少ないので肉は垂れていきますが、彼らは筋肉の質が違うんでしょうね。太ると肉は垂れず、横に広がっていきます。足が長く見える人が多いのもそのせいかと思います。そのせいでおそらく日本人の標準よりもお尻の割れ目の始まり位置が高いのかと。肉の付き方のイメージとしてはミシュランのキャラクター、タイヤマンを想像してもらうと間違いないかと思います。


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更にパンツは日本でもここのところ主流になってきたローライズが基本&下着はTバックなどタンガスタイルが多い(垂れないので下着でサポートする必要がない)のが、半ケツに見える主な理由なのかな〜と自分は解釈しています。日本人には若い時以外Tバックは無理ですよね〜。かくいう自分も、世代のせいか(笑)お尻がカバーされるタイプのパンツじゃないと落ち着きません。やっと最近慣れてきましたが・・・。また、同様の理由で「スパッツ(レギンス)はアウター認定」されております。何だか最初は目のやり場に困るなーと思ったりもしましたが、あまりに多いのでいまや気にならなくなってしまいました。自分はスパッツ履いたら上に短いスカートやパンツ履かないとさすがに無理です。お尻、かっこわるいですもん・・・。


そしておそらくそのせいなのでしょう、「おっぱいよりも尻派」の男性が非常に多いですw でも確かにいいケツしてる女子多い!女性から見てもいいなあ、と思うかっこいいお尻の子いますしね。太ったら目も当てられないし、半ケツもヤダけどw これはちょっと羨ましい。でもね、そこはやっぱりないものねだり。彼女たちにとっては薄っぺらい私たちのスタイルが格好良く見えるようで、少し太めの同僚などにはいつも羨ましがられます。日本人は若く見えることでも驚かれますが、これは食べ物が関係あるのかなと。西洋人は、重たい食事を多く食べるので内蔵も酷使され、若いうちはいいけど少し歳を取ると老けて見えますね。


さて、話は戻って半ケツ。そんな話されたって実際見ないとピンとこねーよ、とお思いの方も多いでしょう。でもねでもね、写真なんて撮りづらいじゃない。半ケツを見かけるたびに、瞼でシャッターが切れるカメラでもあれば、と思いつつ今日までシャッターチャンスは見つけられず・・・しかし先日ついに「半ケツサンプル」の撮影に成功しました。


皆さん心の準備はいいですか?(汚め:閲覧注意)





































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ちなみに、ピザ屋でピザ食べてる最中に横向いたらこれでしたからね・・・





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